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資料:マイ・ベスト「マイ・フェア・レディ」は…もちろんジュリー・アンドリュース!「だったらいいな」VS「踊りあかそう」二つの世界

   

『マイ・フェア・レディ』の主役イライザの役は誰がベストなのか? 中学生時点の私の答えはジュリー・アンドリュースであり、今後も変わらないであろう。なぜなら彼女は、人間的・肉体的な地上の歌(中音域)も、神的・精神的な天上の歌(高音域)もこなせる真のミュージカル・スターだったのだから。

唯一無二のジュリー・アンドリュース版「踊りあかそう」(1956)

https://youtu.be/cZBHzz2IxHg

268,318 回視聴2014/11/09 ジュリー・アンドリュース - トピック チャンネル登録者数 1.1万人
Provided to YouTube by Sony Music Entertainment

I Could Have Danced All Night (from "My Fair Lady") · Julie Andrews · Philippa Bevans · Rosemary Gaines · Colleen O'Connor · Muriel Shaw · Gloria van Dorpe · My Fair Lady Orchestra · Franz Allers · Original Broadway Cast of My Fair Lady ℗ Originally released 1956. All rights reserved by Sony Music Entertainment

『マイ・フェア・レディ』はそもそもブロードウェイ・ミュージカル(1956-62)。そこで主役を張ったのが、のちに『メリー・ポピンズ』(1964)と『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)でその名を世界に轟かすジュリー・アンドリュースです。上記はそのオリジナルキャスト録音なのです。

最初の「Bed, bed」の部分で、もう引き込まれますよね! その後のいかにもミュージカル的な夢のあるのメロディに乗って、飛翔するように伸びのあるジュリーの歌声。最高です。また、そもそもイギリス生まれというのも、ロンドンを舞台にしたこの話に合っています。

マーニ・ニクソンの吹き替え版「踊りあかそう」(1964)

https://youtu.be/hA9bEKKxTNU

"I Could Have Danced All Night" – Audrey Hepburn, "My Fair Lady” (1964)
1,572,453 回視聴2015/03/14 Jean Belmondo チャンネル登録者数 7840人
"I Could Have Danced All Night" – Performed by Audrey Hepburn (dubbed by Marni Nixon), Mona Washbourne and Chorus, from the musical film "My fair Lady” (1964). The song is sung by the musical's heroine, Eliza Doolittle (Audrey), expressing her exhilaration and excitement after an impromptu dance with her tutor Henry Higgins (Rex Harrison) in the small hours of the morning.

オードリー・ヘプバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』(1964)はとても人気がありますが、歌を担当したのはマーニ・ニクソンです。マーニ・ニクソン、という名前はあまり知られていません。彼女は長らく、ハリウッド・ミュージカル映画における”ゴースト・シンガー”としてその存在を隠されていました。

略歴
音楽一家に育ち、その歌唱力と美声は子供の頃から知る人ぞ知るものであった。元々は女優志望だったがオーディションに全て落ち、何でもいいから映画にかかわる仕事がしたいとMGMで働き始める。

最強の「ゴーストシンガー」として
MGM社内にも彼女の歌唱力を知る者があり、1949年にマーガレット・オブライエンの歌の吹き替えに抜擢。少女スターであるオブライエンの幼い歌声を真似て歌い、表に出ない「ゴーストシンガー」としてここでデビューした。

1956年に『王様と私』でデボラ・カーの歌う曲を全て吹き替えることなり、ここでカーとの間で親交を深めることとなる。しかし映画会社の「スターのイメージを保つため」の戦略として、ニクソンの名はエンドクレジットに載ることはなかった。そのうえ「吹き替えたことをバラしたら二度と仕事ができないようにする」とスタジオに脅されたため、恐れたニクソンは自身の吹き替えを公表しない契約書にサインをするほかなかった。こうして「ゴーストシンガー」としての活躍が始まる。

1961年の『ウエスト・サイド物語』は、当初はナタリー・ウッド自身が歌う予定であり歌の収録も行ったが(音源が残っている)「より完璧な映画にしたい」という会社の判断により、ニクソンの歌声に吹き替えられた。ウッドは自身の歌に自信を持っていたため、実際に映画を見て吹き替えられているのを知り、失望で席を立ったという。

1964年には『マイ・フェア・レディ』でオードリー・ヘプバーンの吹き替えを担当したが、こちらも当初はヘプバーン自身が歌う予定であり収録も行った(音源が残っている)。

その女優の特有の発音や声色まで似せて歌うニクソンは「最強のゴーストシンガー」としてハリウッドの業界関係者の間では有名であったが、吹き替えはトップシークレットであったため、長年にわたり彼女の存在を世の人が知ることはなかった。

こうして読むと、切ない話です。クレジットすらない、というのは知りませんでした。だって、聴く人が聴けば、本人があんなに歌えるわけはない、と分かるもんじゃないですか? まあ、当時の女優や映画の世界は、夢を与える絶対的存在だったので、そういうものだったのでしょう。それにしても、マーニの存在をばらした『王様と私』のデボラ・カー、やるじゃん、と思いました。

熾烈を極めたイライザ役争奪戦

そもそも最初からジュリー・アンドリュースに主演をやらせれば、吹き替えする必要がないのですが、ワーナー映画として史上最高額の制作費1700万ドルという莫大な金額をかけた作品に無名の女優は使えないと判断。いわばごり押しでオードリーに依頼します。しかし驚いたことに、オードリー自身はジュリー採用を押していたのです。

ジャック・ワーナーは莫大な制作費を回収するため、『尼僧物語』でワーナー映画始まって以来の大ヒットという実績のあるオードリー・ヘプバーンを考えることとなった[11]。ジャック・ワーナー は、ヘプバーンとアンドリュースでは興行収入の差額は500万ドルと見積もっている[11]。ヘプバーンは『ティファニーで朝食を』撮影中の1960年のインタビューで、次に演じてみたい役は? と訊かれて、「『マイ・フェア・レディ』のイライザよ」と答えていた[16][17][11]。しかし1962年に実際にイライザ役を持ちかけられたヘプバーンは、アンドリュースがイライザ役を自分のものにしているとして一旦断った[18][12][10]。さらにはディナー・パーティーを企画して、スタジオの上層部にこの役にアンドリュースを起用するよう説得しようとした[10]。しかし何をもってしてもジャック・ワーナーの気持ちは変えられず、自分が断れば次はエリザベス・テイラー[19]に役を回すとわかり[20]、1962年10月最終的にイライザ役を引き受けた[12][18][10]。

エリザベス・テーラーにやらせるよりは…と判断したのでしょう。実に賢明なお方です。ちなみにリズはやりたくてノリノリだったようです。

エリザベス・テーラーの生歌

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https://youtu.be/S5viCNsYeIQ?t=75

Elizabeth Taylor 's own voice - A Little Night Music - Love Takes Time
7,480 回視聴2020/04/05 Lost Vocals チャンネル登録者数 6510人

エリザベス・テイラーは声が弱いです…。これでは到底ミュージカルにはなりません。しかも、イメージがイライザとは異なり過ぎます! 

ヘプバーンは以前出演したミュージカル映画『パリの恋人』で歌った経験があり、さらに『マイ・フェア・レディ』出演に備えて撮影3ヶ月前の1963年5月[11]から、撮影に入った後も毎日発声練習をこなしていた[57][17]。ヘプバーンが歌う場面はマーニ・ニクソンによってある程度吹き換えられると聞いていたが、どの程度使われるのかはヘプバーンにもマーニ・ニクソンにも知らされていなかった[57]。そのためヘプバーンはニクソンと一緒に録音スタジオに入り、歌い方のアドバイスも求めていた[57]。撮影のかなり後半のインタビューでも「歌は私も全部録音しましたが、別にマーニ・ニクソンも吹き込んであるのです。どちらを使うかは会社が決めるでしょう」と答えている[58]。しかし結局大部分の歌を吹き替えると知らされたヘプバーンは深く傷つき、「おお!」と一言だけ言ってセットから立ち去った[57]。翌日になって戻ってきたヘプバーンはわがままな行動を全員に謝罪している[57][11]。そして吹き替えも使うが、ヘプバーンの歌はできるだけ残すという約束だったにも関わらず、最終的にはヘプバーンの歌が残っていたのは10パーセントほどだった[57]。ヘプバーンの歌声が残されているのは「踊り明かそう」の一節、「今に見てろ」の前半と後半、「スペインの雨」での台詞と歌の掛け合い部分、「今に見てろ」のリプライズ全部である。

ところが、ゴールデングローブ賞ではノミネートされたものの、第37回アカデミー賞のノミネートでは『マイ・フェア・レディ』はアカデミー賞に12部門でノミネートされたが、ヘプバーンは主演女優賞にノミネートすらされなかった[57][14]。ヘプバーンはひどく落胆したが、ジュリー・アンドリュースにオスカーが取れるように祈ると祝辞を送っている[17]。

映画界の思惑もあって、ジュリーの役をとってしまう形になったオードリーですが、彼女なりに精いっぱいの努力をし、ジュリーに祝辞まで送っています。やっぱりオードリーって苦労もしているだけあって人間的にできた人なんだなと思います。本当に妖精みたいな方ですね。

オードリー・ヘップバーン自らの歌「だったらいいな」

https://youtu.be/NDzKq8CG_po

AUDREY HEPBURN herself sings 'Wouldn't it be Loverly'
544,093 回視聴2016/03/13 MinstrelSurfer { MovieMusicals } チャンネル登録者数 7230人
AUDREY HRPBURN herself sings 'Wouldn't it be Loverly' How it would have sounded if they had used Audrey Hepburn's own vocal track.................. 'Wouldn't it be Loverly'   Audrey's solos were synced by Marni Nixon. Here researchers added Audrey's original sound tracks to the film. This is how it would have been if they had allowed Audrey to do her own singng.

そんなオードリーのボツになってしまったバージョンがこちらです。彼女は彼女でとてもかわいい歌唱です。オードリーはポップス歌手のレベルでは通用する歌い手だと思います。現に『ティファニーで朝食を』(1961)の歌のシーンは見事です。

ムーン・リバー by オードリー・ヘップバーン

https://youtu.be/vnoPke8tlAs 3,093,373 回視聴2013/02/03melonshake3
チャンネル登録者数 6510

雰囲気満点のポップス歌手です! 今YouTuberだったらすごいと思います。

そしてもちろん演技は非常に魅力的です。(美女はよごすとさらに輝きますね…。)
ただ…『マイ・フェア・レディ』は、この「だったらいいな」はともかく、後半に高音が入る難易度が高い曲が多いので…その辺りが難しかったのだと思います。

 朝夏まなと「踊りあかそう」/ 神田沙也加「だったらいいな」 

https://youtu.be/sDb_tLlm38Q

『マイ・フェア・レディ』2018PV【舞台映像Ver.】
574,276 回視聴2018/09/24 TohoChannel
チャンネル登録者数 11.3万人

この高音が得意か否か?というのは、とりわけミュージカルの舞台にとって重要です。単純ですが、最後に長い高音で盛り上がる=これが納得と感動を生むからです。その点、元宝塚歌劇団宙組トップの「朝夏まなと」さんは経験豊富な実力の持ち主です。なので主に「踊りあかそう」を披露しています。上記動画では「だったらいいな」も入っています。

一方神田沙也加さん(故人)は「だったらいいな」だけをメディアにリリースしている点に注意です。(すくなくともYouTubeには彼女の「踊りあかそう」は上がっていません。しかしこのミュージカルの最も重要な曲は、間違えなく「踊りあかそう」です。)もちろん彼女は歌がうまく、魅力的な声の持ち主です。ただ、もっとも魅力が発揮できるのは中音であり、それはいわゆる”80年代ポップスの女王”母松田聖子譲りのものでしょう。逆に言えば、中音だからこそ親しみが増すのです。(ただし、明るい演技はとびきり魅惑的です。その点についてはオードリー・ヘプバーンと同じです。)

「中音域から高音域へ」が意味するもの

ぶっちゃけ『マイ・フェア・レディ』はシンデレラストーリーであり、「成り上がり」の話です。(まあ、それを言ったらミュージカルのほとんどはそんな話ですが。)

低き・卑しき下層民から、高き・やんごとなき上層民へと上昇してゆくから面白いのです。曲の音階も、それに一致しています。

最初にイライザが歌っていたのは、人間的・肉体的な地上の歌=中音の「だったらいいな」です。そのあと、言葉の猛特訓を受けて下町訛を克服します。『2001年宇宙の旅』でサルが道具を使った!みたいなシーンです。その時訛なしに言えるようになった言葉を、彼女は高音で表現します。それが「スペインの雨」です。そして、「踊りあかそう」では、完全に、社会における上位層に到達目前であり、それは神的・精神的な天上の歌=高音域で思うさま表現されます。

  • 中音域=だったらいいな (Wouldn't It Be Loverly?)
  • 中・高音域=スペインの雨 (The Rain in Spain)
  • 高音域=踊り明かそう (I Could Have Danced All Night)

この高低差の表現こそ『マイ・フェア・レディ』の肝と言えましょう。

唯一無二のジュリー・アンドリュース版「だったらいいな」

https://youtu.be/v5ipgrp_xLU

Wouldn't it Be Loverly - Julie Andrews (My Fair Lady )
991,452 回視聴2008/08/26Cátia Adão
チャンネル登録者数 1060人

見事に下世話で、親しみやすいおネエちゃんの歌です。

美しい高音はもちろん、庶民感あふれる歌も親しみたっぷり! まさにジュリーこそ、真の「マイ・フェア・レディ」です。

結局その年の主演女優賞を獲得したのはミュージカル作品『メリー・ポピンズ』でのジュリー・アンドリュースだった。ヘプバーンは後でアンドリュースにお祝いの花束を贈っている[29]。『マイ・フェア・レディ』はその年最高の8部門でアカデミー賞を受賞した[57][29]。

翌年の『サウンド・オブ・ミュージック』(1965年)では2回目のアカデミー賞ノミネートを果たし、ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)を受賞した。後者の映画は現在でも最高興行収入を獲得した映画第3位である[2]。

…最後に笑ったのはジュリーでした…。(ミュージカルにおいては、です。歌と演技の両立が求められる特殊な世界の話です。)

まとめ

何を隠そう、高校のお別れ会で上記バージョンを再現しようとしたわたしです。(高校のお別れ会で。)なので、わたしの中でミュージカルと言えば『マイ・フェア・レディ』なのです! 最近ミュージカルが気になるのでしたためました。

最後になりますが、改めて動画を観るにつけ、神田沙也加さんの舞台は輝くような光があります。できれば実際に拝見してみたかった思い、非常に残念です。心からご冥福をお祈り申し上げます。

追記

いま、ジュリー・アンドリュースの生い立ちを読んだのですが、まさにロンドンの下層民だったのですね。最初から育ちが良ければ、クラッシック系のソプラノ歌手だったと思います。

生い立ち
ジュリア・エリザベス・ウェルズ(Julia Elizabeth Wells)[4]は、1935年10月1日、イギリスのサリー州ウォルトン・オン・テムズ(英語版)で生まれた[5]。母親のバーバラ・ワード・ウェルズ(旧姓モリス)は、金属加工と木工の学校教師のエドワード・チャールズ・"テッド"・ウェルズと結婚した。しかし、アンドリュースは母親が彼女が知らない友人とよく会っているのを不思議に思っていた[6][7]。1950年にアンドリュースは本当の父親は別の人だと母に教えられたが[8][9]、2008年に自伝が出版されるまで公表されなかった[10]。…

アンドリュースは、彼女の家族は「とても貧乏でロンドンのスラム街に住んでいた」「その頃は私が人生で一番苦労した時期です。(very poor and we lived in a bad slum area of London, That was a very black period in my life.)」と語っている。彼女の義父は乱暴で、アルコール依存症であった[10]。テッド・アンドリュースは酔って、彼の継娘とベッドを共にしようと二回も試みたため、アンドリュースは部屋に鍵をかけるようになった[10]。しかし、母親と義父による公演の成功と共に、生活に余裕ができたためもう少し良い地域に住めるようになり、まずベックナム、そして戦争の終結とともにアンドリュースの故郷であるハーシャム(英語版)に順に移っていった。そしてアンドリュースの家族は昔母方の祖母が家政婦として勤めていた家(現在は取り壊されている)に居住した。[9]

アンドリュースの継父は彼女にレッスンを受けさせ始めた。最初はロンドンにある舞台芸術に特化した学校である、LondonCone-Ripman Schoolで、さらにはソプラノ歌手で声楽師でもあるマダム・リリアン・スタイルズ・アレン(英語版)に学んだ。リリアンについてアンドリュースは「彼女は私に大きな影響を与えてくれました」、 「彼女は私の三人目の母のような存在で、私は世界中で一番たくさんの母親と父親がいます。(She was my third mother – I've got more mothers and fathers than anyone in the world.)」と語っている。リリアンの自伝『Julie Andrews – My Star Pupil 』で、リリアンは「ジュリーの声の精度と音質には驚かされた。彼女にはすぐれた絶対音感の才能があった。(The range, accuracy and tone of Julie's voice amazed me ... she had possessed the rare gift of absolute pitch.)」と書いている(しかしアンドリュースはこの話を2008年の自伝『Home』で否定している)[8][11]。アンドリュースは「マダムは私がモーツァルトやロッシーニをできると確信していたけれど、正直なところ私は一度もやったことがありません。(Madame was sure that I could do Mozart and Rossini, but, to be honest, I never was.)」と後に語っている[12]。自身の声について、「私は混ざり気のない、きれいで、とても細く、4オクターブの声を持っていて、犬が数マイル離れていても呼べたほどでした。(I had a very pure, white, thin voice, a four-octave range – dogs would come for miles around.)」と語っている[12]。LondonCone-Ripman Schoolを卒業後、ベックナムの地元の学校Woodbrook Schoolで芸術教育を続けた[13]。

関連動画

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