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平和宣言してもナポレオンには通ぜず崩壊『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』塩野七生

  

平和と中立をモットーに一千年の歴史を享受した国があった。…だけど、銃持ってきて入ってきた奴を国内に入れてしまい、「降参しないなら滅ぼすけど?」と言われ、国が終わった。その「国」とは、現在はその後イタリアの一部となったヴェネツィア共和国であり、「入ってきた奴」とはナポレオンです。

18世紀以降は”過去の都市”として観光地化していったヴェネツィア

『ベニスに死す』美少年の48年後、ビョルン・アンドレセンの栄光と破滅/映画『世界で一番美しい少年』予告編 - YouTube

『ベニスに死す』(1971年)美少年の48年後、ビョルン・アンドレセンの栄光と破滅/映画『世界で一番美しい少年』予告編
7,103 回視聴2021/11/11 moviecollectionjp
チャンネル登録者数 165万人
巨匠ルキノ・ヴィスコンティ監督作『ベニスに死す』(71)で主人公を破滅に導く少年タジオを演じたビョルン・アンドレセンの衝撃の真実を描いたドキュメンタリー『世界で一番美しい少年』(2021年12月17日公開)について日本版予告編が解禁!

ヴェネツィア共和国の最後

ヴェネツィアは、旅行と自称取材で2度行きましたが、ほかのヨーロッパの街と違って、なんか独立独歩な自由な感覚がして、ワクワクするところだなあと気になっていました。

塩野さんのかの有名な著書(全6冊)でヴェネツィアの独立した共和国としての長い歴史を学んで、なるほど自分が感じていた自由な感覚の意味が分かりました。詳しくはぜひ、塩野さんの本をお読みください。堅苦しくなくてとても面白く描かれています。イタリア在住の塩野氏は、肌感覚の取材が徹底しています。、この本を書くにあたっても、往時の書物はもちろん、ラグーン(干潟)の潮の流れまでボートで感じてから、それをもとに書いていますので、とても充実しています。

ヴェネツィア共和国のポイント(思いつくまま書きなぐり)

  • 452年、フン族アッティラを逃れて潟の島に住みだしたのがヴェネツィアの始まり
  • 資源も土地も人口も少ない(どっかの国と同じだね)
  • アジアとヨーロッパをつなぐ貿易船で繁栄
  • 貿易してなんぼなので、中立第一
  • ただし貿易拠点を死守するためには戦いも辞さず強力な海軍を誇った
  • その一方で大陸国家とは異なり領土拡張の野心はない(面より点)
  • 土地がないため貧富の差が少なかった(元首も馬車に乗らなかった)
  • 王政はなかったので「宮廷」もない。”英雄”への警戒心が強い
  • その逆にポピュリズムによる衆愚政治も危惧
  • 中道をとって、極めて透明性の高い元老院の議会政治を運営
  • 議会は貴族が行うが無報酬であり”特権”はない
  • 元首(ドーチェ)はいたが選挙にて能力に基づき選出され、世襲ではなかった
  • 言論の自由を重んじたため、出版はヨーロッパ随一(かつての香港みたい)
  • 国内は奴隷制もなかった(ガレー船漕ぎは有給)ただし奴隷は商品ではあり、イスラム教徒などに売っていた
  • 男は何年も貿易船で行ったっきりなので、女は留守番を守って割と楽してた
  • 造船技術やガラスなど極めてハイレベルな技術国だった
  • 基本合議で決めるが、外交などで急を要するときはより小さな特別会議で敏速に対応(これができないと『シンゴジラ』の日本みたいに対応が遅れてしまう)
  • 地中海に拠点を巡らせた海のハイウェイと、各地の情報網により情報収集力に秀でていた
  • 法王(もと西ローマ帝国)にも教皇(もと東ローマ)にも距離を置き、宗教論争に無縁、魔女裁判もなかった
  • 海軍は強かったが、いかんせん人口が少なく、君主制国家のように奴隷を投入とうこともできなかったため限界があった
  • 一方陸軍は非常に手薄だったため、フランス軍の侵入を阻めず、「味方にならないなら俺がアッティラになって滅ぼす」とナポレオンに言われ、議会で散々迷った挙句、白旗を上げ、1797年にヴェネツィア共和国消滅す

思いつくままに書きましたが、要は「自由で豊かな貿易都市だった」のです。まるっきり、香港ですね。権力集中を極度に嫌い、カトリック教会さえも街の中心に置かせなかったという。そんなリベラルな国が、ナポレオンという独裁者につぶされたのです。やっぱり香港だね。

まとめ

平和は尊い…のだが、銃を持っている奴らに入国される、追い出せない、その時点で、その国はノーチョイスになってしまう。「戦うか? 奴隷になるか?」である。こちらがたとえ「不戦の誓い」したところで「そんなの無駄」とナポレオンに言われてしまったヴェネツィア共和国だった。

アウステルリッツの戦い (1805年)

https://youtu.be/6j8XTVrySQQ

アウステルリッツの戦い 日本語字幕付き (Youtube字幕機能)
8,573 回視聴2020/07/10GS Sporrenberg 現在不定期投稿
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アウステルリッツの戦いは、1805年12月2日にオーストリア領モラヴィアのブルノ近郊の町アウステルリッツ郊外で、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、ロシア・オーストリア連合軍を破った戦いである。

 

絶対平和は理念だけでは成り立たず、それは過去も現在も同じこと。そして未来も。現在の日本や台湾に中露が侵攻しないのはバックに米国の軍事力があるからだけ、という現実。世界と力の均衡によって成り立っている。それが現実。

平和ボケによって、いつの間にかこの現実からずれていったヴェネツィア共和国の悲劇から学びたいものである。そして、それはナポレオンが”悪い”のではない。ヴェネツィア共和国よりナポレオンが”現実的”だっただけである。なぜなら、ナポレオンがいなければフランスがなくなっていただろうから…。

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